大会の歴史
春の高校伊那駅伝は、長野県高校新人駅伝競走大会として、1978(昭和53)年、県内男子19チームが参加して第1回大会が開催されました。長野県陸上長距離界のレベル向上を目標とし、当初は上伊那陸上競技協会が主管して始まったこの大会は、長野県内のみならず全国の監督・選手の皆さんにご理解いただき、長くこの長野県伊那市で開催されています。
毎年3月、伊那谷に春を告げるイベントとして愛されてきましたのも、競技運営にあたる長野県高等学校体育連盟・長野陸上競技協会・信濃毎日新聞社をはじめとした関係各位のご尽力と、「駅伝王国上伊那」を支える市民の皆さんの熱い声援とご協力の賜物です。
「ふたつのアルプスを襷で繋ぐ」のキャッチフレーズのとおり、雄大な自然の中を走り継ぐこの大会は、これからも全国の高校生ランナーを応援していきます。
伊那から世界へ。
大会の歴史
| 1978(昭和53) | 男子第1回 昭和48年まで毎年行われていた県高校駅伝(大町~松本間)が5年ぶりに復活。 大会要項はガリ版刷り、パンフレットの地図は手書き。 現在の上伊那農業協同組合伊那支所(伊那市荒井)発着、伊北インター折返しのコース(5 区間30km)で、男子19チームが参加して開催される。 |
|---|---|
| 1979(昭和54) | 男子第2回 主催に長野県高等学校体育連盟が加わる。 |
| 1982(昭和57) | 男子第5回 伊那養護学校高等部が初のオープン参加し、6人の選手が第4区の7.6kmを力走。これ以降も挑戦が続く。須坂園芸の選手から花鉢が贈られる。 |
| 1983(昭和58) | 男子第6回 前年に続きオープン参加の伊那養護学校チームは、前年に花を贈ってくれた須坂園芸チームに湯飲みをお返し。また、上伊那農業から鉢植えのパンジーがプレゼントされた。 |
| 1984(昭和59) | 男子第7回 伊那市総合運動場(現:陸上競技場)発着のコースとなるも大雪のため、コースの一部を除雪した特設コースで開催。伊那市総合運動場ー箕輪町中原北折り返し5区間30kmとなった。前日の30cmの大雪で圧雪状態、伊那市大萱を中継点に大型農道をピストン方式で折り返す変則レース。3度という気温に沿道の観衆は完全装備。 |
| 1985(昭和60) | 男子第8回/女子第1回 2年後に開催予定されていた全国高校駅伝を視野に、先駆けて女子の部を開催。18チームが参加。 【男子】伊那西部開発大型農道・伊那市総合運動場~箕 輪町八乙女間往復[5区間30km]に変更 【女子】伊那西部開発大型農道・伊那市総合運動場~伊那市大萱間往復[4区間15km] |
| 1986(昭和61) | 男子第9回/女子第2回 ソロバンだった記録の集計作業を信州大学に依頼しパソコンに。 |
| 1987(昭和62) | 男子第10回/女子第3回 男子第10回大会を記念して、県外の強豪校3校を招待。 中京商業(現:中京、岐阜)・市立船橋(千葉)・中京(現:中京大中京、愛知) 市立船橋の監督は小出義雄氏。車の屋根につけレースのタイムを知らせるスポーツタイマーが伊那谷に初出場。 |
| 1988(昭和63) | 男子第11回/女子第4回 女子の部に宇治高校(現:立命館宇治、京都)を初招待。県外校にも門戸を開き、一般校の参加が始まる。表彰を「総合の部」「県内の部」とする。 |
| 1991(平成3) | 男子第14回/女子第7回 コースが日本陸連公認(当時)に。女子は10マイルに変更。 女子の部には伊那養護学校の生徒13人が2年ぶりにオープン参加、敢闘賞受賞。 |
| 1992(平成4) | 男子第15回/女子第8回 主催が実行委員会形式となり、主管も長野陸上競技協会となる。テレビ中継が始まる。 【男子】伊那市総合運動場発着・伊那西部広域農道(伊那市諏訪形~箕輪町中原間往復)日本陸連公認(当時)42.195km、 【女子】伊那市総合運動場発着・伊那西部広域農道(伊那市総合運動場~箕輪町南原間往復)日本陸連公認(当時)21.0975kmのコースに変更。 初めてコースの全面交通規制。高校生の大会補助員、一般のボランティアも協力。 |
| 1994(平成6) | 男子第17回/女子第10回 開会式を長野県伊那文化会館で行う。 男女ともに繰り上げスタートが導入された。 これまでのボランティアに加え協賛企業の社員100名あまりが交通整理に協力。 |
| 1997(平成9) | 男子第20回/女子第13回 男子第20回大会を記念して、県内の最優秀選手男女各1名に贈る伊藤国光杯を新設。あわせて中学生長距離競走伊那大会を併設。 |
| 1999(平成11) | 男子第22回/女子第15回 大会前日 季節外れの大雪に懸命の除雪作業で開催。ボランティアが懸命にトラックの雪をかき、みはらしの湯をタンクで運びトラックに撒いて融雪作業を行った。 女子第15回大会を記念して、山下佐知子氏による記念講演会を開催。 県外校10回以上出場校を表彰。 |
| 2000(平成12) | 男子第23回/女子第16回 交通誘導ボランティアの一般公募を開始。県内外28人が応募。 早くから山梨県の高校から参加があったことにより、山梨でのテレビ中継が開始される。 |
| 2001(平成13) | 男子第24回/女子第17回 伊那市小沢の住民でつくる「小沢花の会」は例年のコース沿いの他に競技場のトラック内側にもプランターを並べ花で飾った。交通ボランティアは小学生から70代までの39人、競技運営に協力した。 大会ピンバッジを製作。関係者に配布のほか、大会当日500個販売し好評。 |
| 2002(平成14) | 男子第25回/女子第18回 大会名を「春の高校伊那駅伝」に変更。 男女合わせて110チームの大規模大会に。男子佐久長聖が初の総合優勝。 男子第25回大会を記念して、参加校が持ち寄った苗木で記念植樹が行われる。市内の小中学校による1校1チーム応援運動が始まる。 |
| 2003(平成15) | 男子第26回/女子第19回 市民に沿道でもっと観戦していただきたいとの思いで応援エリアを新設。 外国人留学生の参加を認める(出走区間を限定)。 |
| 2004(平成16) | 男子第27回/女子第20回 市内商店街へのアピールをしたいとの発想から、インフォメーションコーナーをいなっせに開設。 開会式ウェルカムコンサート開催。伊那養護学校が太鼓演奏で参加、東春近中央保育園児も「よさこいソーラン」で選手を歓迎。 |
| 2005(平成17) | 男子第28回/女子第21回 いなっせ屋台横丁開催。大会を盛り上げるために屋台横丁が登場。 |
| 2006(平成18) | 男子第29回/女子第22回 旧コースでは最後の年。市街地商店街にバザーや様々なイベントを開催し大会を歓迎。 |
| 2007(平成19) | 男子第30回/女子第23回 男子第30回大会及び旧伊那市・高遠町・長谷村の合併を記念して、コース変更。 「二つのアルプスを襷で繋ぐ」とキャッチコピーも生まれた。 男子第1区自動計測導入。 |
| 2008(平成20) | 男子第31回/女子第24回 日本がうまい!全国味自慢物産展開催。出場校にちなんだ物産展をいなっせで開催。 |
| 2009(平成21) | 男子第32回/女子第25回 女子第25回大会を記念して、立命館宇治高校荻野由信監督が講演。 男子折返し点を高遠町商店街に延伸。御園高架橋が開通し伊那市内だけのコースで開催が可能となった。過去最多の134チームが参加。大雨の中、熱い声援が飛び交う。 |
| 2010(平成22) | 男子第33回/女子第26回 美篶中県中継所を整備。大会の利便性が向上。 参加チームの増加により、女子第1区も男子同様自動計測導入。 |
| 2011(平成23) | 男子第34回/女子第27回 東日本大震災により、中止。 |
| 2012(平成24) | 男子第35回/女子第28回 前年の中止を経て2年ぶりの開催 全区間に自動計測を導入 |
| 2014(平成26) | 男子第37回/女子第30回 男女合わせたエントリー数が200チームとなる。 |
| 2017(平成29) | 男子第40回/女子第33回 男子第40回大会を記念して、本大会に多大な貢献をいただいた5名の方に感謝状を贈るとともに、記念碑の建立、記念誌・DVDの制作を行う。 BS放送による全国生中継が始まる。 |
| 2018(平成30) | 男子第41回/女子第34回 長野東女子総合初優勝 初の長野県男女アベック優勝 |
| 2020(令和2) | 男子第43回/女子第36回 新型コロナウイルス感染拡大により、中止。 |
| 2024(令和6) | 男子第47回/女子第40回 女子第40回大会を記念して、田中希実選手、嶋原清子氏による記念トークショーを開催。伊那市陸上競技場の門柱をリニューアル改修。 |
| 2026(令和8) | 男子第49回/女子第42回 過去最多、男女合計189チームが出走 |
歴代ポスター
第1回(1978年)
第2回(1979年)
第3回(1980年)
第4回(1981年)
第5回(1982年)
第6回(1983年)
第7回(1984年)
第8回(1985年)
第9回(1986年)
第10回(1987年)
第11回(1988年)
第12回(1989年)
第13回(1990年)
第14回(1991年)
第15回(1992年)
第16回(1993年)
第17回(1994年)
第18回(1995年)
第19回(1996年)
第20回(1997年)
第21回(1998年)
第22回(1999年)
第23回(2000年)
第24回(2001年)
第25回(2002年)
第26回(2003年)
第27回(2004年)
第28回(2005年)
第29回(2006年)
第30回(2007年)
第31回(2008年)
第32回(2009年)
第33回(2010年)
第34回(2011年)
第35回(2012年)
第36回(2013年)
第37回(2014年)
第38回(2015年)
第39回(2016年)
第40回(2017年)
第41回(2018年)
第42回(2019年)
第44回(2021年)
第45回(2022年)
第46回(2023年)
第47回(2024年)
第48回(2025年)
第49回(2026年)
伊藤国光杯について
男子第20回記念大会を契機に創設。
伊那市出身で日本を代表する長距離ランナー伊藤国光氏より、長野県内の最優秀選手男女各1名に贈呈されます。
伊藤国光氏(マラソン解説者)昭和30年生まれ。西箕輪与地出身。上伊那農業高等学校時代、全国高校駅伝1区区間賞、国体5千メートル優勝。高校卒業後、鐘紡に入社。陸上競技部に所属し、1万・2万メートルで日本記録を樹立するなど、日本長距離界のトップランナーとして活躍。1986年、マラソンで当時日本最高記録(2時間7分57秒)を樹立。90年からカネボウ陸上部男子監督就任。97年同部監督。2013年から2016年専修大学陸上部監督。2018年から2023年JFEスチール競走部監督。

過去の大会結果
前回大会までの記録をご覧ください。
男子成績一覧(PDF)
男子区間記録および優勝者(PDF)
女子成績一覧(PDF)
女子区間記録および優勝者(PDF)
伊藤国光杯受賞者(PDF)
過去の信濃毎日新聞(外部サイト)
過去の大会記録
1992(平成4)年 [男子第15回・女子第8回(県内のみ) ]
1984(昭和59)年 [男子第7回]
1983(昭和58)年 [男子第6回]
1982(昭和57)年 [男子第5回]
1981(昭和56)年 [男子第4回]
1980(昭和55)年 [男子第3回]
1979(昭和54)年 [男子第2回]
1978(昭和53)年 [男子第1回]